▼正一位青木稲荷神社▼ 石岡市府中二丁目2番

歴史の里石岡ロマン紀行


 香丸町より若宮八幡宮方面に少し行くと右側に小さなお宮がある。、病院の駐車場の一部にあるので個人的なお宮のようにも見える。しかし、400年ほどの歴史を持つお稲荷様だ。正一位は人物では最高位で従一位の上に来るためほとんどいないが、全国の稲荷神社では正一位の伏見稲荷大社より勧請を受けた稲荷神社はほとんどで正一位を名乗っているようだ。

正一位青木稲荷神社(大掾氏歴史コース@)

祭礼は倉稲魂命。青木稲荷神社の由緒は、宝沢院という寺院の隅にあったと伝えられる。慶長年間(1596〜1614)、領主六郷氏により国家安全・五穀豊穣・武運長久のために深く信仰されていた。文政年間(1818〜1829)に宝沢院は廃寺となり青木稲荷神社だけが残った。再建は弘化2年(1845)。江戸時代は、徳川将軍からの朱印の押された免税の土地であった。明治じだいになると税法改正と神仏分離により青木町が譲り受ける。青木の名は、府中六木の一つ「大木」に由来し、寛永2年(1625)、水帳に「大木」「おふぎ」の呼称が記されている。

大掾氏との関わり

常陸大掾平国香が「国家鎮護、武運長久」のために、屋敷の中に勧請したといわれている。

平成21年2月 石岡市教育委員会