▼長楽寺▼ 石岡市龍明

歴史の里石岡ロマン紀行


テレビや映画撮影の古刹-天狗の話など

ここ長楽寺は時代劇の映画やテレビの撮影に使われており、ビートたけしの映画「座頭市」やNHKの大河ドラマ「武蔵」や「篤姫」の撮影に使われた。この龍明は町村合併前までは八郷町狢内(むじなうち)と呼ばれており、昔は本当に狢(むじな)(タヌキやアナグマ?)が多くいたのであろう。この本堂は県指定文化財となっており、まわりは杉や銀杏などの木々に囲まれ、現在の人工的なもの(電柱、電線、ライトなど)が360度カメラをまわしても一切ない。時代劇の撮影場所に選ばれる理由であろう。寺の奥は山で、人家はまったくない。何故このような立派な(本堂の軒下は立派な彫刻が彫られている)建物がきれいに保存されてきたのであろうか?地元の方々の努力であろう。

映画「座頭市」では本堂の中で賭博のシーンを撮影し、「武蔵」では本堂前で殺陣が行なわれた。「篤姫」では第2話の尚五郎が西郷や大久保たちに剣術の試合を挑む場面が撮影された。地元の剣道を学ぶ少年剣士達も参加して剣道の稽古の場面などが撮られたとのこと。

(写真撮影:2008年7月6日)

長楽寺は八郷町史によると「薬王山長楽寺、始め滝本本坊といっていたが、慶長十年(1614)長楽寺と改めた。仁王門は約二間半四方で、仁王尊はよく保存されている。本尊は薬師如来で十二神将も安置されている。平田篤胤の「仙境異聞」に出てくる空中飛行の杉山大増正の寺ともいわれる。薬師堂そばには薬師井戸、天狗のたもと石、天狗腰掛石、大乗妙典、六十六部日本廻国塔(宝暦十年、1760)、四国巡礼塔(安永七年、1778)などがみられる。」と記載されています。創建は天長元年(824年)四月とのこと。仙境異聞の中で天狗の住む岩間山について「峰に愛宕宮がある。足尾山、加波山、吾国山などが並び聳える笠間の近所だ。岩間山の十三天狗、筑波山に三十六天狗、加波山に四十八天狗、日光山には数万の天狗が棲むといわれる。岩間山はもともと十二天狗だったのだが、四、五十年程前に筑波山の麓にある狢打村に長楽寺という真言僧がいた。空に向かって常に仏道に意を馳せていたところ、ある日、釈迦如来が迎えに現れた。本物の仏と思って連れられていくと、釈迦如来と思ったのは岩間山の天狗だった。以来、長楽寺を加えて十三天狗となったという。我が師はそのひとりであり、名を杉山そうしょうという」となっており、長楽寺の和尚が天狗となって岩間山の天狗に加わったそうです。天狗の話は多く残されているようなので調べて見るのも面白そうです。

上の写真は薬師堂から寺の本堂を眺めたところです。木々の間に本堂が美しく光っています。

  本堂の左側にある石段。ここを登ると薬師堂があります。大きな下駄が奉納されていた。

 

本堂脇の竹林には大乗妙典、六十六部日本回国塔、西国巡礼塔などの石碑がある。

どちらから見ても現代的なものはない。確かに撮影にはもってこいである。

 

 


本堂軒下の彫刻。立派な龍が彫られている。ここの地名「龍明」はこの奥側の山地帯に名づけられた地名であり、市町村合併で狢内より龍明に変更された。

入口の山門(仁王門)と石地蔵。この山門の左右には金剛力士像が保存されている。

 

この苔むした石段を登ると山門があり、その奥が本堂である。

長楽寺の入り口です。坂を上った曲がり角の路地を入っていきます。のぞくと左の写真の入口が見えます。案内板はありません。

 

 

 

<場所>

地図をたよりに近くまでいってもなかなかこの寺の場所が見つけられずに3度目のトライでようやくたどり着いた。フラワーパークの方から親鸞聖人ゆかりの大覚寺方面へ進む。途中道が右柿岡方面、左稲田、大覚寺方面に分かれる交差点がある。この交差点のすぐ数m手前を左に曲がる細い道がある。この道を道なりに進むと、小山を超えて田畑の道に下っていく。左へ曲がる道もあるが、目の前にみえる住宅の方にそのまま進む。ここが狢内の部落である。部落に入って最初に曲がりが土に左の写真にある地蔵さんが立っている。ここを地蔵さんの方(左)に進むと、上り坂となる。坂をすこし上ったところで道は右に大きくカーブしているが、この道をこのまま進むと山に続く道になり、行き止まりである。長楽寺は、先ほどの道がカーブしている所を真っ直ぐに入る細い道を進むとすぐ突き当りである。(上の写真)。

<長楽寺の天狗になった話>

仙境異聞の中で「長楽寺という者は修験者であり、常に西の空に向かって大日の真言を唱えるなどしていた。親孝行な男で、その母が国々の神社、仏刹、旧跡などを見回ってみたいと嘆息するのを聞き、なんとかしてその願いを叶えようと十二天狗に祈願し、祈願が叶うまで断食の行を行った。その途中で山から蹴落とされることもあったが、懲りずになおも断食の行を続けた。 あるとき例によって西に向かって阿字観(※密教で、万物の根源である阿字を観想する行法。普通は、月輪中の蓮華上に阿字を描いて眼前に掲げ、阿字と行者の心が一体となる瞑想法)をしていたところ、「釈尊がお迎えに参られた」とにかっと笑って空の向こうへ飛び去った。後日立ち戻り、母親を背負って望みの土地を五、六日のうちに見回らせ、ふたたび家に帰った。「ああ、もうくたくただ。長寝するが、起きるまで絶対に見ないでください」 長楽寺はこう母親に言い残して一室にこもり、五、六日が過ぎた。待ちきれなくなった母親がそっと部屋を覗くと長楽寺は六畳の部屋一杯になるほど巨大な姿で横たわっていた。母親は悲鳴を上げて腰を抜かした。その声に目を覚ました長楽寺はふすまを蹴破って飛び出し、以後二度と戻ることはなかったという。 一説には母親を伴って諸国を経巡った後、「このことは決して他人に話さないでください」と口止めしたのにも関わらず、母親が嬉しさの余りこっそり人に話したところ、それ以来戻ってこなかったともいう。」と説明されています。