■石岡地方の昔話 ・護身地蔵について むかし、国道6号の貝地町、高浜街道筋に「護身地蔵」がある。この地蔵は風邪が治るとの噂で参拝客がやってくる。願いが叶うとと、わらの納豆つっこに、やさいのくずなどのごみを詰めて奉納するのである。これは塵芥(ごみ)と護身(ごみ)のことばが相通じるところからきているのだという。また、昔から次のような伝説があった。戦国時代の舟塚山付近の戦いのとき、手負いの一人の武士が追手に追われてこの地蔵尊へ逃げ込んできた。しかしもう逃げるところはなく、これまでと武士は心に決めた。その時、突風が起こり、砂塵を巻き上げ、追手の視界を遮った。またどこからともなく一人の老婆が現れ、武士を近くの塵芥の山の中へ隠した。突風もやみ追手が目をこすってみても武士は見えなくなってしまった。追手は老婆に「ここへ、誰か来なかったか」と訊ねたが、老婆は「誰も来ませんでした」と自信たっぷりに言うので追手たちもとうとうあきらめて行ってしまった。するとこの老婆は突然と煙のごとく消えてしまったという。一命を救われた武士は、小さな祠に感謝の涙を流した。また数年後に再び訪れて、石地蔵を寄進した。この時の老婆は地蔵尊の化身であったと言い伝えられている。しかし昭和4年の石岡の大火で焼けてしまい、現在のお堂は、その後再建されたとのことである。 石岡の昔ばなし 仲田安夫著 ふるさと文庫 (1979年)
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