■婆ヶ峰(ばあがみね)・爺ヶ峰(じじがみね)のいわれ
むかしむかしのことです。石岡が常陸府中(ひたちふちゅう)と呼ばれていた頃、筑波山には多くの巡礼の人びとが登っておりました。 そんなある日の夕方です。巡礼姿の老夫婦が常陸府中側から山道を登り、筑波の尾根にある峠道を急ぎ足で歩いておりました。 もう日が暮れかけており、暗くならないうちに筑波の宿に到着したいと、疲れた足を引きずりながら二人はお互いを励ましあいながら先を急いでいました。 するとそこに追いはぎが現われたのです。 気丈なお爺さんは、荷物やお金をお婆さんに持たせて、先に宿に行くように話し、持っていた杖で追いはぎをやっつけようとしました。しかし、乱暴ものの追いはぎはとても強く、逆にお爺さんは殺されてしまいました。 お婆さんは先に逃げていたのですが、お爺さんがお金を持っていないと知った追いはぎが、お婆さんの後を追いかけて、とうとう一つ先の峰のあたりでつかまり、お婆さんも殺されてしまったのです。 よく朝になって、麓の村人が二人の変わり果てた姿を発見し、皆で泣いて亡くなった山の近くに二人をねんごろに埋葬して石仏を作り、毎年お彼岸に供養をするようになりました。 こんな悲しいお話ですが、村人達はこの場所を、お婆さんとお爺さんの峰ということで、「婆ヶ峰(ばあがみね)・爺ヶ峰(じじがみね)」と呼ぶようになったそうです。 さて、話はこれで終わりではありません。 この供養のために立てられた石仏ですが、子供がなかなか授からずに困っている人たちの間に、いつのまにかこんなうわさが広がっていきました。 「この石仏をお借りしてお腹にだいて寝ると子宝に恵まれる。病気の人は元気になる。」 いつの間にか広がったうわさですが、今でも子供に恵まれない多くの人がここを訪れて、子宝に恵まれ、またお礼に訪れるようになりました。今では筑波山をバックに大きな「子授け地蔵」が立っています。
筑波山の東側尾根道にある「婆ヶ峰駐車場」にこの「子育地蔵」はあります。 その裏手の高台の見晴らしの良い場所に「子育地蔵」が立てられています。 ここから夕日の沈む筑波山の素晴らしい光景が見られます。 冬場には、日が沈むころに遠く富士山がきれいなシルエットで浮かび上がります。 (戻る) |