■竜神山の鬼(茨城童子) 竜神山は昔からこの地方の信仰を集めてきた。八郷地区と石岡市内の境にあり、山の向こうとこちら側では長い間気候も異なって、それぞれ別々の気候に変化をあたえてきた。昔は頂上が1つの山であったが、民間の採石業者に売却され、すっかりその姿が変ってきてしまった。今ではかえって竜神の名の通り、石岡の市内の方からみると右が頭で左が胴体である竜の形に見える。頭の側の杉の木が竜のヒゲのようにも見える。しかし、これも近年は首の部分(元の山の頂のあった付近)の採石が進み、2つの山と思えるような姿に変ってきてしまった。山の前後の気候の変化を感じさせないくらいに風も通過してしまい天の恵みの雨などにも影響が出ているようである。川から流れ出る川である山王川も柏原公園の池に注がれ、石岡駅横を通って霞ヶ浦に注いでいるが、昔のようなきれいな川は望めなくなってしまったのであろうか。信仰を深めてきた山であり、昔のままの姿を残して欲しいものである。 この竜神山には、大昔から竜神の夫婦が住んでおり、竜神様のおかげでふもとの井戸も枯れることがなく、旱天(日照り)が続くと、人々は雨乞いの祈りを竜神にささげ、腰にさげた竹筒に井戸の水を汲み、休まず村へ帰ったという。もし途中で休むと、休んだ所に雨が降ってしまうと信じられてきた。 この竜神山には、竜神夫婦以外に「茨城童子」という鬼が住んでいた。童子は、丹波の大江山の酒呑童子の兄弟分と言われ、さらった人間を入れる大きな巾着袋をさげ、石の根締めで紐をくくり、夜ごと里人をさらっては食べたという。このため、人々は童子を恐れ、子供などは「茨城童子」と聞いただけで泣きやむほどであった。 また、そのとき、童子が腰に下げていた巾着袋の根締め石も、邪魔になって投げ出してしまった。それがはるか茨城の万福寺の西に落ち、畑の中にめり込んでしまった。これが茨城に残る巾着石である。 他にも、西国から征伐しにやって来る者(強い者)があると言う噂を聞き、恐ろしくなったので三角山を越えて逃げ、巾着袋も放り出していったとの話もある。この名から三角山は「鬼越山」と呼ばれるようになった。
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