不動院の文化財 (県指定文化財)
寺号:明王山虚空蔵寺不動院(真言宗)
不動院は天正年間(1573-1592)に佐竹氏が府中城を攻めた際、戦火を受けて古記録を焼失した。開基などは不明であるが、寺伝によれば、明応2年(1493)醍醐三宝院(京都市伏見区)の弘範が中興したと言われる。明治堂跡については、現在残されている基壇の約四倍の規模をもつことが明らかになり、大建造物を有する寺院であった。
近年の研究では、今まで判明していなかった七重塔の位置が、寺域東側に指定されている。寺域は、東西約二七〇メートル、南北約二四〇メートルの規模を持っていた。
常陸国分寺跡発掘調査で出土した遺物は、瓦が主体であるが、その中でも、創建瓦(複弁十葉蓮華文軒丸瓦)は、平城京羅城門跡で発見された軒丸瓦と同系の紋様であることが注目される。これは、国分寺建立に際し、当時の政府が瓦工の派遣などを含む、技術指導をしたことを物語っている。
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