▼舟塚山古墳、府中愛宕山古墳▼ 

歴史の里石岡ロマン紀行


国指定史跡「舟塚山古墳」(5世紀後半) 石岡市大字北根本597番地外

東京方面から6号国道を右に曲がって高浜街道をしばらくいくと「バイパス反対」の立て看板が多く立てられている。国指定史跡である「舟塚山古墳」近くを6号国道のバイパスが通る計画があるからだ。この古墳群はかなり大きなもので是非一度いかれることをお勧めする。

舟塚山古墳は、南に霞ヶ浦の高浜入江を望み、西には筑波の霊峰を仰ぐ景勝の地にある前方後円墳である。霞ヶ浦の両岸には多くの古墳群があり、その中央部の恋瀬川河口付近に舟塚山古墳が存在する。この古墳は、東国第2位、県内で最大の規模を誇り、豪族の墳墓とみられている。舟塚山古墳の墳丘は、およそ前長186m、前方部幅100m高さ10m、後円部幅90m高さ11mの規模をもつ。仁徳天皇稜(大阪府)などと共通する特徴を持っている。出土品や墳形から五世紀後半からの築造とされている。

 舟塚山古墳群の入口にある神社。古墳にはこの神社の裏手から上に登れるようになっている。一般に古墳にはは立ち入り禁止が多いが、観光案内所で聞いたら上っても良いとのこと。あまり荒らさないようにして欲しいものだ。



 古墳は前方後円墳であり、この地方の豪族の墓である。古墳は芝生で綺麗に手入れがされており、あまり古さが伝わりにくいのは難点。

  舟塚山古墳の上から筑波山を望む。古代と同じ眺めかも知れないと思うと古代へのロマンが沸き起こってくる。

 

 

国指定史跡「府中愛宕山古墳」(6世紀前半) 石岡市大字北根本694番地外

舟塚山古墳の北東300mに位置する前方後円墳である。霞ヶ浦に舟を乗り出す形なので出船といわれ、舟塚山古墳は入船と呼ばれる。全長96.5m、後円部径57m高さ8.5m、前方部幅57m高さ7.5mの規模をもつ。墳形は応神天皇稜(大阪府)に類似している。

府中愛宕山古墳。すぐ脇は民家が迫っている。

箱式石棺(舟塚山古墳群より出土)1300年程前のものと推察される。

石棺は石岡市民族資料館の入口脇(常陸国衙碑横)に置かれている。