▼平福寺▼ 石岡市国府5-9-3

歴史の里石岡ロマン紀行


寺号:春林山平福寺 宗派:曹洞宗   本尊:如意輪観音

 常陸大掾氏の菩提寺として知られる。ここ平福寺は府中酒造のすぐ隣に位置し富田北向観音の裏手になる。敷地内は大掾氏の五輪塔が入ったすぐ正面右側にあった。まわりは一般の墓所でもあり、茨城廃寺の礎石は確認できなかった。茨城(ばらき)廃寺の礎石は寺のあったとされる貝地近くと、清涼寺およびここの3箇所にある。大掾氏の五輪塔は思っていたよりもかなり小さなものであった。

 天正18年(1590)、佐竹軍勢に攻められた府中城最後の城主となった大掾清幹は、ようやく城が炎上する中を、この平福寺まで落ち延びた。しかし佐竹義宣軍勢に周りを囲まれて万策尽き、府中城を佐竹側に引渡し、平福寺内で自害した。平国香(良望)が常陸国の大掾職について(平安時代中期)より世襲的に大掾職を継承して約680年にわたって続いてきた常陸大掾平氏は滅亡したのである。(注:府中の大掾氏は馬場資幹が1193年に常陸大掾についてからの約400年間である)

(2007.3.10 撮影)

平福寺の文化財

 平福寺は、もと天台宗で興国寺山平福寺といい、常陸大掾氏の菩提寺として知られる。本堂正面に明治29年重野安縡撰文の「常陸大掾氏碑」がある。高さ3.2m、1072字の長文である。

常陸大掾(ひたちだいじょう)氏墓所(史跡)

墓所の中央に位置するものが最大の五輪塔で、全高1.62m、それをとり囲むように3方周囲には、14基の五輪塔が林立している。これらの五輪塔は、平安時代から戦国時代まで、常陸国に勢力を誇った豪族、常陸大掾氏代々の墓塔といわれている。


 また、円空作の「大黒天像」(高さ31cm)は、桐材で作られ、正面に荒いノミの跡が走り、像全体に安定感がある。

 

石岡市教育委員会
石岡市文化財保護審議会