徳一大師は中国から伝わった法相宗を広め、特に都から離れた東国に来て、筑波山「中禅寺」、会津「恵日寺」などを建立したとされる平安時代初期の高僧である。常陸から会津にかけて、主に山の中腹に修行の寺を建立した。また最澄との論争で有名である。本壁面観世音像を含め、常陸から東北にかけて多くの寺が彫刻が徳一大師によるものとされている。しかし、あまりにも多くのものがあり、その真実は今ではわからない。ここも一夜で彫ると願かけて間に合わなかったとの言い伝えであるが、未完にすることに意味があったと解することもできよう。この辺りでは鶏を飼わないということであるが、もう少し北上し那珂川を越えると養鶏農家は多い。
|
国この壁面に彫られた像の前に堂宇が建てられており、良く見ることができない。後ろに回って横から壁面のくぼみに等身大の観音像が見える。目が開いていないというがはっきり確認できなかった。
|