国衙の碑のすぐ近くに立つ「万葉歌碑」である。 「庭に立つ
麻
手
刈り干し布
曝
す
東女
を忘れたまふな」(藤原
宇合
大夫
、任
遷
りて京に上る時に
常陸娘子
の贈る歌) (麻を、刈ったり干したり晒したりしていた東国の女を忘れないでくださいの意見) 都から来ていた国司、藤原宇合(うまかい)は奈良時代前半政権をとった藤原不比等の三男で藤原四兄弟の一人です。高橋虫麻呂を部下として常陸風土記を編纂したのではないかともいわれます。この宇合がこの地方の娘と恋に落ちたのでしょう。都に帰る宇合を見送る時に読んだものです。持統天皇八年(694)の生まれで、霊亀ニ年(716)に遣唐副使として2年間中国唐に渡り儒教的教養を身につけ帰国し、その1年後の養老ニ年(718)7月に常陸国守となった(安房・上総・下総も所管とした)。養老七年(723)に任務を終えて京に帰ったとされる。(市制30周年記念「石岡の歴史」より) |