6号国道より高浜街道への道を少し進むと右に曲がる道がある(案内板がないので注意)少し進むと道が右に曲がるがまっすぐ進んでも神社に出る。少しわかりにくいがこんもりとした茂みがあり神社の隣のビニールハウス目印となる。平城といわれているが、城の裏手は恋瀬川と霞ヶ浦の合流点に近く、城があった当時はもっと霞ヶ浦も水が近くまで来ていたのではないかと思われ、少し高台に建っており、湖側からは攻め込まれない城であったものと考えられる。札掛神社:かつての石岡城の城主である札掛氏をまつる神社
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大掾資幹(すけもと)が常陸大掾となったのは鎌倉幕府が成立した翌年の1193年であり、居城をこの地に構えたのはそれから21年後の1214年であった。それから130年間はここが大掾氏の居城となっていた。その間府中城が建てられた旧国衙の地がどのようになっていたかはあまり定かではなく、何故この茨城(ばらき)の地に城を築いたのかも記録はあまりないようである。 |