▼石船神社(いしふねじんじゃ)▼ 茨城県東茨城郡城里町大字岩船字宮山606

歴史の里ロマン紀行(城里編)>


 場所は岩船地区にあるが、神社の名前は石船(いしふね)である。阿波山上神社に立ち寄られた方には、近くの石船神社にも是非訪れていただきたい。阿波山上神社の少し先を高根山大山寺(関東八十八ヶ所霊場三十一番)(高根山は1595年まで佐竹氏の大山城があった場所である)の案内板に従って左折し、大山寺を過ぎて少し先を小さな案内板に従って右折します。山に沿った道をしばらく行くと見つかります。入口には城里町の案内板に「藤の群生(天然記念物)」の説明の中に、神社の由来が書かれています。延喜式内社の一つで大変由緒のある神社です。

「城里町 指定文化財(天然記念物)藤の群生」

 石船神社の創建は、清和天皇の御代貞観元年(859年)で、祭神は「鳥石楠船命(とりのいわくすふねのみこと)」又の名を「天鳥船命」(あめのとりふねのみこと)という。太古建御雷命に従って東征し海運の神といわれている。この境内にある藤の群生は地方まれに見るもので、最も大きいものは目通り周囲1.3m、開花期は壮観をきわめ森閑とした境内にひときわ参拝者の目を楽しませてくれる。

城里町教育委員会(旧桂村)

 神社を訪れたのは藤の季節ではなく11月下旬の紅葉がきれいな時期であった。神社の前を小川(岩船川)が流れ、紅葉に映えた神社はとても美しく是非訪れることをお勧めします。小川に架かる石橋は苔むしてその歴史を感じさせてくれます。拝殿の裏にはこの神社の神体である船形石や八幡太郎(源)義家が怪物に向かって放った矢がこの石に刺さっていたという「矢の根石」などがありますが写真を撮り忘れてしまいました。今度行った時にUPします。また御神体(拝殿の裏手)は兜石と呼ばれる巨石で、板で隠しただけになっています。

 

 この神社の神は「天鳥船命」であり、古事記・国譲りの話で、建御雷神とともに降臨した神であり、海運の神であり、阿波(徳島)の忌部氏などとも関係があったのではないかとも推察される。また近くにある徳一大師の刻んだ壁面観世音像や悪路王にまつわる高久にある鹿嶋神社なども今度一度訪ねてみたいと思います。

 3月にもう一度訪れてみました。(2010.3.22)
 秋の紅葉の時期も美しいと思いましたが、名前の謂れである「石」についてもう一度確認したいと3月に訪れてみました。以前訪れた時は、あまり石の存在に注意を払っていなかったのですが、今度は例祭と重なったのか、まず鳥居をくぐった先の参道の右側(岩船川が流れている)に、大きな石がしめ縄で祀られていました。どうもこれが八幡太郎義家が怪物退治の時に放った矢がささったという「矢の根石」らしい。  またすぐその手前の石の上に石燈籠が飾られていた。また拝殿の左脇にも大きな石がありしめ縄で飾られていました。これが船形をしているので、へこみにたまった水をすくって、雨乞いに使われたという石でしょう。

 神社(拝殿)の裏側は板で覆われ、枯れ草や枯れ木がうず高く積み上げられていました。この枯れ草の下にこの神社のご神体である「兜石」が隠されいるようです。中をのぞいたが見ることはできませんでした。

 

 この神社の手前には梅林があり、梅の花がきれいに咲いていました。