その他の六井について 小目井(字田島前):昭和初期までよくその形態をとどめていて、25坪余の境内は立木でおおわれ、中央に薬師堂、向かって右に石燈篭、その右手に井戸があった。「その水で眼を洗えばたちどころに治る」と近隣や遠方からも人が訪れていたが、昭和30年代には境内の立木は伐採されあたり一面には笹が乱茂して荒れ果ててしまった。 室ヶ井(金丸東南水田の中):小目井の荒廃から数年後、室ヶ井は新しい6号国道の路線に重なり国道のコンクリートの下に姿を消してしまった(昭和37年3月開通)。この室ヶ井は田んぼの中から湧き出した泉であった。毎年井戸供養も実施して保存を計ってきたが、残念なこととなってしまった。昔は1日に7へん色がかわると言われたほどの清水であったとのこと。飲料水以外に産井としても使われたという。 野々井(北の谷):古書には北ノ谷のホチ水と書かれているところである。笠間街道沿いにあり、現在は個人(小松崎氏)の屋敷内の床下にあった。床下に湧く清水は桶をかぶせ山王川に流していたという。現在水が流れているかは不明。昔の伝説が残っている。「井戸の周辺に棲んでいた大鰻を殺し、水で洗ったところ、その血が付近の田んぼと山王川を紅に染め、三日三晩霞ヶ浦へ流れた」という。昭和8年にやっとその場所が特定されたもの。野々井はここの他に茨城(ばらき)の東方にも同じように呼ばれる湧き水の箇所があった。 鈴負井(宮部):鈴尾井、鈴保井、鈴緒井とも書かれている。宮部の舘下といわれる一帯の田地にある。噴井でかなりの清水が湧出しており、用水路に誘導され原型はとどめない。しかし鈴負井といわれる井戸、清水は他にも近くに2箇所伝えられている場所が存在し、3箇所の総称であったようである。
杉ノ井(泉町東北田圃の間):境内にケヤキ2本、杉1本があり、弘法大師が祀られている。通りに近いところに井戸コガがあり、それらしい雰囲気はのこしているが、井戸は枯れてしまっている。昔水戸の殿様が江戸往復の途中、ここで水を汲んで茶を喫したという茶屋場跡が残っている。 今は井戸と呼べるものは皆無に等しく、その昔の存在意義も忘れ去られようとしています。しかし、ここ石岡は硬い岩盤の高台にあり、井戸もなかなか掘れずに苦労しており、これらの湧き水が非常に貴重なものだったことが想像されます。かって府中六井の付近数坪は耕作が禁止され、周囲の畑での肥料の使用も禁止され、その清浄さを保ってきたのです。昭和58年に笹目蔵之助氏の「府中六井」という書物が発行されており、この中で上に挙げた6ヶ所以外に以下の箇所を追加している。田端井(貝地の幕内敦文家の井戸)、総社のおみたらし(総社入口のお清めの水)、遺徳泉(宮下の鈴木清家、久保の山より湧き出した清水を筧に引いたもの)、小目代福性院の古井戸、村上の子ハ清水、府中宿の古井戸、貝地駒田の古井戸などである。
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