▼潮宮神社(いたみやじんじゃ)▼ 茨城県小美玉市倉数1

歴史の里石岡ロマン紀行(小美玉・行方編)>


 ここ倉数地区(旧小川町)は鉾田の海岸から府中(石岡)のちょうど中間地点であり、汲上から塩を府中(石岡)へ運んだ塩の道の中間拠点として塩の蔵などが多くあり大変にぎわったという。しかし、いまこの潮宮神社は通りから少し狭い道を入ったところにあり、地元の人以外は訪れる人も少ないようである。しかし、一旦神社の鳥居をくぐってみて驚いた。拝殿までの参道は左右に古木が生い茂り、参道は昔の人の踏みつけにより沈み、木々が左右に傾いて天に伸びているのである。

これらの古木はいったいいつからここでの生活を見てきたのであろうか。こちらの文庫(潮の道余話)を読んでみてください。

 神社は高倉下命(たかくらじのみこと)を祀る、創建は古く992年に鹿島神宮の潮宮がこの地に移されたとされる。このため鹿島神宮との関係が深く、12世紀にはこの倉数地区が鹿島神宮の知行地となっていたとの記録もあるようだ。中臣氏の領有地であったともいわれている。

 昔はこの参道を多くの人が踏みしめたであろう。くぼんで木の根が浮き出てしまっている。このため、多くの木が右に傾いて伸びている。訪れた人は、きっと不思議な想いにとらわれるに違いない。古木が話しかけてくるような感覚におそわれる。



 拝殿側から今来た参道を振り返る

拝殿奥にはご神木と思われる杉の木(左側)と手前にスタジイ?の古木がある。

さて潮来の由来について少し関係すると思われるので紹介しましょう。潮来は古くから水運交通の要で、府中(石岡)から鹿島神宮へ通じる駅路として栄え、「板来」と呼ばれていたが、水戸光圀公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改めたといわれています。