現在、石岡の陣屋門は市民会館の入口位置から裏の石岡小学校の校庭の市民族博物館脇に移されている。移されたのは昭和44年です。江戸時代府中松平2万石の陣屋が置かれていたが、今はこの門だけが残っている。江戸時代の藩主は江戸に常駐しており、府中には役所となる陣屋が政務の中心として置かれていました。この陣屋門が建てられたのは9代目松平頼縄のとき,江戸小石川の藩邸を新築した際に余った材木を使い建築したものです。主として欅(けやき)材が用いられています。元々この地は常陸国衙があった場所でもあり、常陸大掾氏の府中城が築かれた場所でもあります。大掾氏が佐竹氏によって滅んだ後は佐竹氏の支配下になっていましたが期間はあまり長くはなかったようです。この石岡はやはり大掾(だいじょう)氏の面影がもっとも強いようです。松平家は2万石とあまり大きくはありませんが徳川御三家である水戸徳川家の分家でかなり重要な地位を占めていたと思われます。しかし、170年と比較的長く統治していた松平家の面影を残すものはあまり数多くありません。
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現在の市民会館入口に置かれている石碑で、昔はここに陣屋門があり、石岡小学校の入口部でもあり、子供たちはこの門をくぐって学校に言っていた時もあるようである。 |