源平合戦で猛勇を馳せた景清は各地にその名を残している。
・清水寺(京都):源頼朝の命を狙って失敗し捕えられたとき、「源氏の世は見られぬ」と自らの目玉を刳り抜き奉納したとの伝説がある。また景清が自らの爪で石を彫って作ったと言われる景清爪形観音が残る。また、仏足石は景清の足型であるという伝承も伝わっている。
・秋芳洞(山口):壇ノ浦の戦いに敗れた景清が身を隠くしたとされる「景清洞」がる。
・生目神社(宮崎):景清が日向に下って、この地に僧侶として閉居していた。歿後、景清公の活けるが如き霊眼を祀ったとされる。一説には源氏の隆盛を目にする苦しみから逃れるために、自分の両眼をえぐって空に投げた。そのため御祭神として、景清の両眼が祭られているとされる。
・景清廟(宮崎):源氏に対する復讐心から自分の目をくり抜いて盲僧となった平景清の霊を祀っている。また、景清の娘人丸の墓や、景清が使用したという硯石がある。
・景清の墓(鹿児島県曽於市):壇ノ浦の戦いに敗れた後、平家再興を胸に秘め、源頼朝の命を狙っていたが、暗殺に失敗し、捕らわれの身となる。景清の武勇を惜しんだ頼朝は命を助け、九州に流し日向国、宮崎を経てこの地に移り住み、没したところと伝えられる。
・平景清息女の墓(熊本県岡原村):父・景清を追って岡原村までたどりつき、景清の死を知って自害した娘の墓という。
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