西暦
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年号
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石岡地方の出来事
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その他
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939 |
天慶2年 |
平将門常陸国府を攻略。約300戸の民家が焼かれ、15000の絹布など、略奪の限りを尽くす。 |
寺院や国府の記録が消失 |
1580 |
天正8年 |
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本浄寺(府中2丁目)焼失 |
1585 |
天正13年 |
国分寺戦火により焼失。仁王門の金剛力士の首だけが残る |
千手院も同時に焼失か? |
1590 |
天正18年 |
府中城落城。府中はことごとく焼失。中世府中の文化遺産は常陸大掾平氏と命運をともにした。この焼け野原に主に佐竹氏により新たな町が築かれた。落城から7年後の慶長2年に町立てが行われた。 |
照光寺、清涼寺、不動院、本浄寺、若宮八幡宮、青木稲荷神社焼失 |
1728 |
享保13年 |
府中平村大火。守木より出火、中町・金丸・守横・富田・幸町・香丸・仲之内・泉町延焼、547軒類焼 |
戸数は昭和4年の大火とほぼ同じだが、消失区域は数倍に及ぶ。府中の町はこれを境に復旧し、様相も一変した。 |
1739 |
元文4年 |
府中大火。150軒類焼 |
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1762 |
宝暦9年 |
府中宿大火 |
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1773 |
安永2年 |
照光寺、山門と鐘楼を残して焼失 |
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1784 |
天明4年 |
守横町より出火、富田、田端(貝地)残らず類焼 |
盛賢寺類焼(翌年再建) |
1809 |
文化6年 |
守木町より出火、107軒類焼 |
火元の柏屋の名前から俗に柏屋火事という |
1822 |
文政5年 |
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国分寺薬師堂焼失 |
1845 |
弘化2年 |
府中平村千手院の空寺より出火。196軒ほか焼失 |
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1864 |
元治元年 |
天狗党事件の府中焼討ち(泉町、香丸町、守木町)で160件の家屋が焼失 |
暴徒は守木町の豆腐屋で箒の先を油鍋にいれ、竈の火をつけてから軒並み放火して歩いた |
1870 |
明治3年 |
若松町から出火。青木町・香丸町・中町・仲ノ内町・金丸町へ延焼。500戸焼失 |
神社6ヶ所、寺2ヶ所焼失(初午の強風の日であった) |
1878 |
明治11年 |
中町より出火、金丸・守木・守横・富田の320戸類焼 |
陰暦の二の午(2月14日)で、見る見る火の手は広がった。 |
1908 |
明治41年 |
国分寺より出火。強風にあおられ150戸焼失。 |
国分寺の仁王門・薬師堂類焼。金剛力士の頭部に手と足をノコギリで切り救出 |
1909 |
明治42年 |
中町より出火、102戸類焼 |
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1914 |
大正3年 |
中之町より出火。飛び火で香丸通り裏手より出火。28件焼失 |
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1927 |
昭和2年 |
若松町より出火。25戸焼失 |
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1929 |
昭和4年 |
大火。中町より出火、強風にあおられ金丸町・富田町・守木町・守横町・貝地町・木之地の606戸全焼。ガソリンタンク誘爆もあり、中町・守横町は全焼。約2000棟、被災者役3000人。 |
金力比羅神社焼失。常磐銀行・高喜呉服店・国分館・西之宮醤油店・常光院・華園寺・石岡劇場・村上裁縫女学校・家政女学校・明愛貯蓄銀行・松の湯・商華会館などが炎上 |
1945 |
昭和20年 |
空襲、一部建物焼失 |
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1961 |
昭和36年 |
火薬ダイナマイトの倉庫から放火で出火。倉庫内の火薬類消失 |
その後ダイナマイトを仕掛けた火災が続発し「石岡のダイナマイト事件」とよばれた。 |
1964 |
昭和39年 |
総社宮の拝殿屋根より出火。拝殿全焼、本殿半焼 |
石岡小学校で盆踊りが開かれており、子供の火遊びが原因と見られている。 |