伝説・常陸国分寺の雄鐘と雌鐘の壁画     

(石岡駅下りホームの壁画)
 


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「常陸国分寺の雄鐘・雌鐘の伝説」

昔むかしのある晴れた日。子生の浦(こなじのうら=旭村)の海に、二口の重い釣鐘がポッカリと浮かんだ。

 

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 見つけた漁師は驚き「そうだ。龍宮の女神が、府中の国分寺に寄進なさるに違いない」と、大勢のなかまを呼び集めて釣鐘を引き上げた。これは随分と骨が折れた。

 

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 釣鐘を運ぶのも大変だった。何日もかかった。田崎(旭村)の橋のそばで突然車の心棒が折れた。それから、この橋を「こみ折れ橋」と云うようになったそうだ。

 

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 やっとのことで府中の国分寺に着き、めでたく雄鐘と雌鐘が鐘楼に吊り下げられた。人々は二鐘がそろったお寺の見事さを誉めたたえた。

 


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 この国分寺は奈良時代に聖武天皇が全国に建てた寺の一つだ。十年もかかって造り上げられた大きくて立派な建物だった。

 


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 ところが、怪力の大泥棒がこの釣鐘に目を付けていた。ある夜のこと、雌鐘をはずしてとうとう盗んでしまった。

 


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 大泥棒は雌鐘を背負って、高浜街道をひたすら走り、霞ヶ浦の岸にたどり着いた。ここまで来れば安心と舟に乗せた。

 


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 沖に舟をこぎ出すと空はみるみる曇り、雨に風、雷も波も激しくなってきた。そのとき突然「国分寺、雄鐘恋しやボーン」と雌鐘が鳴った。

 


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 これには大泥棒も驚きあわてた。「きっと、釣鐘を盗んだ罰だ」大泥棒は雌鐘を三叉沖めがけてほうりこんでしまった。

 


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 それ以来、国分寺の雄鐘と雌鐘はお互いに引き合い、沖の雌鐘は明けと暮れに「国分寺、雄鐘恋しやボーン」と鳴ったという。

 


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 そして、沖の雌鐘は毎日米一粒分だけ岸に寄って来るが、波やしけのため引き戻されて、今だに岸に着けないでいるそうだ。

 

(石岡市史[伝説]より抜粋/作画・村岡 将)