明円寺は親鸞聖人の二十四人の弟子 第十九番 明法房(すわち山伏弁円)により仁治元(1240)年に開かれたと伝えられる寺である。板敷山の麓に建つ大覚寺は親鸞聖人と山伏弁円との足跡を残す「法難の遺跡」としてしられるが、山伏弁円は親鸞聖人の評判が良く、自分の教えがだんだん廃れていくのが悔しく、親鸞聖人の稲田草庵から板敷山を通る近くであるこの真家地区に土地を拝領し、親鸞聖人を襲撃する機会を窺ったといわれる。しかし親鸞聖人の教えに諭され、後悔し弟子となり明法房と法名を頂き、69才の時額田に上宮寺を建てて浄土真宗を広めたが、晩年になってそこを明教房に譲り、思い出の真家村に一宇を建て、明法房の明と弁円の円の字をとって「明円寺」としたとされる。明法房は天明6年(1786)73歳で入寂したとされる。また熊野権現と日光権現との二社を明円寺の境内に安置していたとされるが、現在はない。また、天明六(1786)年に山津波のため本堂、庫裏が800m下まで押し流されたため、建立された当時はもう少し山の上側に立っていた。その後復旧した堂宇も安政元年(1854)の正月24日、山火事で消失し、今の堂宇は慶応2年(1866)の建立という。(八郷町誌より一部抜粋)
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ここ明円寺の脇の山道を少し登ると「馬滝」という園部川源流の幻の滝があり、ここは弁円の行場とも伝えられています。また近くの「鳴滝」も弁円ゆかりの滝とも言われています。(現住職のブログはこちら) |