▼中町商店街▼ <昭和初期のレトロな看板建築の町並み>

歴史の里石岡ロマン紀行


昭和4年に石岡市街を火の海に包み込んだ大火災により、それまでの建物の多くが焼失した。風向きにより難をのがれた建物もわずかあるが、その後東京中心に関東大震災の後に当時流行っていた看板建築の建物が多く建てられた。現在では残るものも少なく、ここ石岡の町並みは貴重なものとなっている。市では50年以上経過してデザイン的に優れた建物を有形文化財として登録を促進しており、平成15年から随時登録を国に申請して(有形文化財)保存を推進している。看板建築はそれまでの軒を大きく前面に出した出桁造りと呼ばれる立派な軒が商店の格を現したものであったのとは異なり、道路を拡張し、耐火性を向上し、狭くなったスペースで復興を計る必要に迫られて考え出された方式であった。銅版を表面に貼った看板方式の建物はモダンでレトロな雰囲気をつくっている。昨年まで通りにはアーケードがつけられており、これを鳥の巣などで汚れてしまったため、取り壊した。これにより一気にレトロな建物が出現したのである。また、通りの電柱をすべて埋設化し、スッキリとした通りに生まれ変わったのである。現在もっとも注目の的となっており、連日見学者が訪れている。

中町の通りは旧石岡の旧水戸街道(江戸街道)の中心であった。かつては大変な賑わいをみせていた。現在は9月の石岡総社のお祭りで大勢の人が繰り出すが、普段はあまり人通りも少なめである

中町メイン通り(福島屋砂糖店・久松商店・十七屋履物店)

 <丁子屋>金刀比羅神社の隣りに位置するここ丁子屋は昭和4年の火災を運良くまぬがれた。本建物は江戸時代末期の建築といわれる。木造2階建で妻入の商屋。桟瓦葺屋根は正面寄棟造,背面切妻造りで正面に下屋庇をつける。街並み景観の際だった存在である。もとは染物屋であったが、現在は観光客相手の商品や雑貨を扱っている(観光施設「まち蔵藍」)。。

 <十七屋履物店>昭和5年の代表的な看板建築。間口4間半、奥行11間半で1階が商店となっている。2階は持送風柱頭の柱型を中心に縦長の連窓を左右に配し、軒下にはロンバルディア帯をあしらっている。クリーム色の外観が特徴的である。現在も履物店を続けている。

  <久松商店>昭和5年頃の建築である。正面4間、奥行4間の店舗の奥に床付きの10畳の座敷(現在はミニュチア鉄道模型展示や劇やフェスティバルの舞台などに使われている)を持つ。太平洋戦争の時に壁面の銅板が軍部に供給されたが、近年貼りなおしたものである。昔は化粧品と雑貨の店であったが、現在はカフェ・キーボーという喫茶店である。石岡の歴史や文化を発信すべく情報を発信している。現在ジャズコンサートや鉄道模型の展示などが行なわれている。

<福島屋砂糖店>昭和6年の建築。木造2階建で桟瓦葺,切妻造,黒塗の外壁が重厚な外観を作っている。外壁にコンクリートを用いている。店の前の自動販売機は美観としてはない方が好ましい。

 

 

<すがや化粧品店>昭和5年頃の建築。屋根下の三角部分の屋号(ペディメント)とコロント・イオニア様式風の丸い柱が特徴的である。建築当時は雑貨店であったが、現在は化粧品やアクセサリーなどを扱っている。

<森戸四郎商店>昭和5年頃の建築。木造2階建で間口4間,奥行15間で正面をモルタル塗とする。2階部分は柱型レリーフ間に3本の縦型窓を配し,隅部の柱型には褐色タイルを張る。建築当時は飼料店であったが、現在は花屋さんである。フラワーアレンジメントなどもつくってくれる。常陽銀行の真正面に位置する。

<栗山呉服店>夢市場脇の横道通りにある。昭和7年頃の建築である。木造2階建ての商家建築。2階正面のガラス戸の組子は、明治以降における日本建築の近代化の特徴が表われている。

中町通りの夢市場手前を左に入った路地である。昨年(2006年)通りにタイル風の石を敷き詰め新たな観光通りとすることを目指している。

<喫茶店四季>昭和5年頃建築。関東つくば銀行と常陽銀行の間の横道を少し入ったところにある。木造2階建で間口5間,奥行10間半で正面には柱頭付円柱形(ギリシャのコリント様式)を3本配し,中央円柱形で店舗を2軒に仕切る。屋根に3本の突起物をつけており特異な景観をもつ。喫茶店であるが、のり巻なども出している。隣りは「朝日屋」というラーメン店で、古くからラーメン・餃子で有名でもある。素朴なレトロな味であり、是非一度ご賞味を。ただし、手作り餃子は夕方のみの限定です。

<平松理容店>昭和3年の建築である。翌年の石岡大火災では難を免れた。たたきにおがくずを混ぜた床や、古代ギリシャ風の列柱様式のアカンサスの葉の天蓋、また理容店の鏡、イスなども当時の物が残されている。

<きそば東京庵>昭和7年頃の建築。木造2階建でいわゆる和風食堂建築である。戦後座敷を取り除き、テーブルとイスの配列にした。数奇屋風の建築であり、他の洋風な建物とは違った趣を保つ。店は明治26年創業とのこと。もりそば480円は安いですね。

<香丸資料館>ここは中町とは離れ、香丸町にあるが、特徴的な漆喰壁の土蔵造りであるので紹介をしておきます。1階が喫茶店で2階はだれでも利用可能な市民ギャラリーとなっており、プロアマとわず年間を通じて多くの予約がはいっています。無料で借りることができますので絵画や写真などのアートを発表したい方はとても良いと思います。

<府中誉:府中酒造>安政元年(1854)の創業の酒屋であり、石岡の酒つくりの老舗である。昭和4年の大火では風向きの関係で隣りの「富田北向観音」とともに延焼を免れた。有形文化財としては上写真の「長屋門」の他主屋・文庫蔵・穀蔵・仕入蔵・釜場・春屋(つきや)の7棟が登録されている。この長屋門は幸町にあった見付門を模したものと言われている。

府中酒造の「主屋」。主屋は明治2年の建造と言われる。昔府中の名水(六井の泉)を酒造りに使用し評判となった。「府中誉」、「渡舟(大吟醸)」、季節限定の生酒「太平海」などの酒が好評である。

<府中誉文庫蔵>明治27年の建造である。切妻造、黒漆喰塗りの3階建ての土蔵で、東に窓、西に3段の水切りがある。

 

<酒の冷水倉庫>中町通りを国分寺方向に直進し、若宮八幡宮への曲がり角にある酒屋さんの倉庫です。

<浜総業(株)本社>府中2丁目香丸通り(酒の冷水)隣りに建つ。昭和9年に浜平右衛門氏が建築した。昭和4年の石岡大火を踏まえて土蔵造りで建築された。浜総業(株)の本社として使われていたが、現在は事務所は移転されているようであり、住宅として使われている。

 

<府中本陣位置>中町通りにあるこのパン屋(ヴィオレ)さんの裏手が旧府中宿の本陣であった「矢口」宅がある。他の本陣と違い水戸藩の専用として水戸の要人のお宿として使われていたようである。