本供養碑は風土記の丘公園から石岡駅の方向に歩いて戻る途中染谷地区で偶然見つけたものである。場所は風土記の丘の前の通りを東(駅方面)にまっすぐ進み、恋瀬側に架かる粟田橋(現在工事中)の方面に右折せずにそのまま真っ直ぐ東へ進み、坂を少し上ったところにあります。「大乗妙典日本廻国供養碑」と長い名前が付いており、何のことかわかりにくいと思われますが、下の立て看板の説明を参照下さい。
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日本地図が刻印された石板は写真の中央です。石板は苔むして判別がわかりにくいが、法華経の経典を奉納した国を日本国地図に記して残したものであることが見て取れます。地図は当時(江戸時代初期)にこのあたりにもこのような日本国地図が存在し、これを写したものと考えられる。伊能忠敬が九十九里(千葉県)に生まれたのは1745年年ですから、その50年以上前にこのような地図が流布していたものと思われます。 |