▼峰寺山西光院(さいこういん)-関東の清水寺-茨城県吉生 

歴史の里石岡ロマン紀行


峰寺として広く知られる西光院は、平安時代初期・大同2年(807)有名な徳一大師の開山と伝えられ、はじめ法相宗であったが鎌倉時代に一時真言宗となり、のち天台宗に改宗した。本堂は本県では類例のない懸造りで県の文化財(建造物)に指定されており、廻廊からの眺めはすばらしく関東の清水寺の名に恥じない。この寺の約6mもある立木観音菩薩像は、桧材寄木造の巨像である。なお、境内西方にある球状花崗岩(俗称小判石)は県指定天然記念物である。(入口にある案内板)


 

関東の清水寺と呼ばれるが、京都の清水寺の舞台と同じ様な懸造りであるが、違いはこの寺が山の中腹に建てられていることであり、廻廊からの眺めはすばらしい。東筑波ユートピア(さるなどの動物公園)が隣接してできており、イメージは今ひとつの感はある。ここに来るまでの道は天気の良い日は気持ちよく車で来ることはできるが、夕方遅くや天気の悪い日はと通る車もなく寂しい気分になるかもしれません。新緑や紅葉の時期に明るい日に訪れてください。また入口の開放時間がありますので気をつけてください。

 大覚寺山門(浄土真宗本願寺派 板敷山大覚寺)(親鸞聖人法難の遺跡)

県指定有形文化財
西光院本堂(建造物)
木造立木観音菩薩像

峯寺山西光院は平安初期の大同年間、京都から来た徳一法師の開基と伝えられ、ともは法相宗であったが、中世真言宗となり現在は天台宗に属している。峯寺山の中腹にあり、晴天の日は霞ヶ関より遠く太平洋を望むこととができ、眺望絶佳の位置にある。
 自然石の観音像を本尊とするこの寺の本堂は関東の清水寺と呼ばれ、岩棚状の細長い敷地の奥の崖に懸け出して建てられた懸造りの建物で、岩肌に脚柱を建て舞台型を作った上に、桁行三間梁間三間寄棟造り瓦棒鉄板葺(もとこけら葺か)の本体を組んでいる。
 この本堂は崖の表面に作り出された巨大な石仏の上半身をおおうように作られた珍しいもので、現在の建物は江戸時代末期頃と推定されるが、石仏が火災にあっているところから、前身堂が焼失したのが判り、寺院の創立は相当古いとみられる。
 またこの寺には、立木仏とよばれる十一面観音立像が祀られている。これは徳一法師の創建と伝えられ、像内にある元文二年(1737)の修理墨書銘札によると、本来ここにあったものではなく、もと山麓 吉生 よしゅう 村の立木山広照院長谷寺に伝来したものらしい。 像高597cm。 弁形 べんけい 刻出の天冠台上化仏から腰裳の下四分の一位まではハリギリ材の一木造、頂上仏をほぞ差し、両臂・両肘 矧付 はぎつ け、頭・体部とも 内刳 うちぐ りを施し、背板をあてている。
 像は雨にかかったせいか、像表面が荒れ、当初のノミの痕を見ることは出来ないが、そのずんどうの体躯のとらえ方、後補とはいえ、台座をつくらず自然木の根を矧付けている点など、本来立木仏として造られたことを伝えている。製作年代は平安時代末、十二世紀頃のものであろう。

石岡市教育委員会

  西光院入口。右手は青竹が生い茂って気持ちの良い道である。

 

 

西光院本堂

茨城百景の指定(峰寺山)

廻廊からの眺め。天気の良い日は八郷、石岡方面が一望できる。

 

 

石岡市認定保存樹「西光院のスダジイとクスノキ」

スダジイ:幹周5.68m、樹高21.7m、樹齢600年
クスノキ:
幹周3.65m、樹高21.6m、樹齢不詳

当院は西暦807年、徳一法師によって開基されたと伝えられており、また、1777年には全焼の憂き目に遭い再建されたことが記録されている。この2本の巨木が植栽か自生かは不明であるが、スダジイの方は推定樹齢からすると開基と再建のちょうど中間時点のころに誕生したことになる。しかしこの樹は平成8年9月、当地が台風17号に見舞われた際、寺院の上に張り出していた大枝が折れ、そのまま屋根にのしかかるという惨事に遭遇しそうになった。クスノキの方はそのような記録はないが、主幹の正面にできた裂け目を見ると、遠い過去に落雷等なんらかの被害に遭ったことが推測される。椎は八郷町の木であり、町内随所に巨木が見られる。(平成14年3月)

石岡市教育委員会