行方市は鹿嶋と隣接する位置にあり、万葉の時代から霞ヶ浦(香取の海)の肥沃な土地を中心に栄えてきた。ここ西蓮寺に1000年を超える大イチョウがあると聞いてやってきた。場所は石岡から355線を潮来へ向かって進むと霞ヶ浦大橋脇を通り越してすぐである。旧道が平行に走っているが、バイパス側にも細い道だが案内板がある。寺へ通じる道路の入り口には右の写真のように「常陸高野」「山百合の里」の案内板がある。ここの寺は歴史が古く、文化財・史跡も多い。是非訪れてみてください。とても素敵な場所です。9月の三昧会の時は市が開かれ、大変な賑わいを見せていたという。しかし今も少なくなったが市が開かれているという。
天台宗 西蓮寺 (現地説明板より)
延歴元年(783)桓武天皇の勅願により最澄の弟子最仙上人が開山したと伝えられ、俗に常陸の高野山ともいわれる。鎌倉時代の中頃、比叡山の無動寺から慶弁阿闍梨(けいべんあじゃり)が来て七堂伽藍を造営し、京都の曼殊院(まんじゅいん)の門跡忠尋大僧正が、乱をのがれてこの寺に来てとどまり、曼殊院の額を山門にかかげたと伝えられている。明治時代に火災にあい、仁王門と相輪橖(そうりんとう)を残して焼失した。相輪橖は日本三相輪橖の一つで、慶弁が元寇(げんこう)の役の戦勝記念として、信者の浄財によって建立したと伝えられている。(玉造町)
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文化財・国指定重要文化財(建造物)
仁王門は、天文12年(1543)建立されたもので、もとは三間一戸の楼門(二階建)であった。天正四年(1576)の修理後、寛政年間(1789〜1801)に楼門の二階部分を取毀して山門(一階建)となった。その後、安政七年(1860)に現在地に移築され、仁王門に改めたものである。三間一戸楼門の一階だけが残されたもので、蟇股(かえるまた)と蓑束(みのずか)の形が特異で室町時代末期特有の地方色をみることができる。
平成11年3月 玉造町教育委員会 |