▼村上佐志能神社▼石岡市染谷字峠1856

歴史の里石岡ロマン紀行


 村上地区は昔府中村の上手のため「村上」の地名になったといわれている。竜神山の麓にあたり、昔から多くの人が住んでいた。竜神山の佐志能神社は、元々は村上村に属していたが「村上」と「染谷」に分かれた時に村上側に新たに佐志能神社を分割して建設された。現地に案内看板もなく場所も地図をたよりに探すこととなったが、村上地区農村センターに車を停車し、歩くこと1分あまりのところにあった。一番奥に並んだ住宅の一番端に突然と現れ、驚きであった。まわりはひっそりとして住宅横といっても少し陰気な感じは、染谷佐志能神社と同様である。染谷側は女龍、こちら村上側は男龍を祀っており、両者で一対と考えられている。(村上地区の竜神山に向かって左手に道を上っていくとダメで、一番奥の住宅に接して立っているので注意)

 鳥居

写真撮影位置の左手に「御神水」の石碑と小さな屋根をつけた池がある。撮影地点の後ろ側に、昔は道があったのだと思われるが道はない。創建年代は明らかになっていないが、古く8〜9世紀頃に建てられたものと推察される。現在の拝殿などは明治16年に修復されたものと言われる。また本殿より大分登ったところに奥の院(岩山に小さな祠)があるとのこと。あまり人が登る気配はないので、見落としてしまった。

 

(2009.9.12 撮影)

染谷佐志能神社の看板より

佐志能神社は、染谷佐志能神社と村上佐志能神社の二社があり、ともに龍神山の龍神(雨の神)をまつっている。染谷が高(おかみ)神(雌龍)、村上が闇おかみ神(雄龍)である。二社とも創建年代は明らかではないが、農耕に不可欠な「雨の神」をまつることもあって、古くから付近の村人たちの信仰を集めた。
 染谷佐志能神社の本殿左手の屏風岩には、「風神の穴」と呼ばれる穴がある。この穴に指を入れると、雷鳴がなるまで抜けなくなってしまうという伝説があり、夏になると、ここから黒雲がまき起こって雷神が現れ、雨を降らせるという。
 毎年四月十九日に例祭があり、この時奉納される「染谷十二座神楽」は、四百年の歴史をもつと伝えられ、現在まで残っている数少ない「里神楽」のひとつとして、市指定有形民俗文化財となっている。

*市指定文化財(昭和56年11月25日指定)*
染谷十二座神楽(有形民俗)

   昭和60年3月
      石岡市教育委員会
      石岡市文化財保護審議会
 

御神水(左側写真):

御神水(今は少ししか水の流れはない。ため池のようになっている)。昔、村上地区の水は豊富で、この竜神山からわき出る水を遠くから汲みにきていたといわれる。また雨乞いの神でもあった。

本殿(拝殿の奥)。日本武尊と闇おかみ神(雄龍)を祀る。

 

神社から鳥居を見る