盛賢寺(せいけんじ)は通称を霊通山無量寿院といい、真言宗豊山派に属する。もと醍醐三宝院末阿弥陀堂、盛賢寺のある井関は旧水戸藩領で、元禄二年藩主光圀が領内巡視のときこの阿弥陀堂が立派なのを見て那珂郡額田から引寺して盛賢寺を開山したという。天明4年(1784年)類焼、翌年に再建したもの。はじめは修験道場として栄えた。江戸時代に入り、祈祷道場となり、善男善女の参拝者が多くなった。
昭和53年に石岡市指定文化財となった。また、昭和58年には阿弥陀堂が修復され、茅葺から銅板葺となるが、原型はたもたれ山中に威容を誇っている。
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木造仁王像(彫刻) 仁王像は偉大な力をもつ金剛杵を手にし、二体ならんで寺門の入口を守るので二王ともいわれなじみ深い。
像容は、上半身裸体で、頭髪はかずらを結び、金剛杵をふりあげて念怒の相を示している。本来、密迹金剛で「密迹」とは仏に近侍し秘密の奇跡を知る意味がある。市内においては良く保存されている仁王像として貴重である。 |