▼正法寺茨城県石岡市大増1644 

歴史の里石岡ロマン紀行


「ヤマナシ」の古木と百観音の寺

親鸞聖人所縁の大覚寺に行かれたら是非近くのこのお寺「大増山東望院正法寺」に寄って頂きたい。大増の市街地をぬけた奥にある。ここには市指定保存樹である「ヤマナシ」の古木と百観音像で有名である。大増城主、古尾谷隠岐守治貞公開祖の古刹で永禄2年(1559)8月開創され、古尾谷氏の菩提寺として隆盛を極めてきたが、古尾谷氏が主君佐竹義宣公の秋田転封に従って、当地を離れたため、一時寺運も衰退したが、慶安元年(1648)に徳川3代将軍家光公から御朱印三石を拝領し、再興した。本堂は元治元年(1864)火災に遭い焼失したが、慶応2年(1866)に再建された。

 

寺の入口には多くの二十三夜塔が目を引く。

入口石段左側には清らかな水の流れと紫陽花がきれいに咲いています。

 

 

十八羅漢:羅漢様は普通「十六羅漢」様ですが、正法寺の羅漢様に付いては、慶友尊者と賓頭盧尊者を加えて十八の羅漢様と成っています。「羅漢」とは、価値ある、尊敬するにふさわしい人、供養を受けるのにふさわしい人を意味しています。十八の羅漢様は、お釈迦様の弟子達で、私達と同じ煩悩を持って悩み苦しむ人達でありましたが、縁あってお釈迦様の教えに接し、出家して弟子と成り、その教えのままに精神修行して、ついには悩み苦しみから解脱した方達であります。(現地看板より)

石岡市認定保存樹「正法寺のヤマナシ」

幹周:1.5m 樹高:12.9m 推定樹齢:不詳

この木は日本古来のナシでバラ科の落葉高木。奈良時代に栽培されたものが野生化して山中に自生したり、人家周辺に植えられたりした。縁起を担いで「有りの実」ともいわれる。花は白色五弁で、実は小粒で堅く熟すと甘酸っぱくりんごのような味がするが、おいしくはない。長十郎や二十世紀梨の元祖ともいわれ、材質は堅く、家具・彫刻材に用いられる。この寺は永禄2年(1559)織田信長、今川義元の桶狭間合戦の頃の創建で、元治元年(1864)に一度火災で焼失しているが、現在まで23代続いている。門を入り18体の羅漢像が両側に並ぶ石段を上がると、甘柿とヤマナシの古木が、仁王様が手を広げて参詣人を迎えるような姿で立っている。いかにも果樹の郷の古刹らしい。

平成17年3月 石岡市教育委員会

 

 

 

百観音像

戦国時代中期より江戸時代に坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所の合わせて100ヶ所の観音様をお参りすると願い事が成就するといわゆる日本百観音巡礼が行なわれてきた。しかしこの100箇所の札所をすべて巡礼するのは体力的にも財力的にも大変で、これらの巡礼できない庶民人のために、これらの百箇所で観音様の像の鋳型もらい受け、これを寺の観音堂に納めてこの観音堂を参拝することが全国的に行なわれてきた。この正法寺にもこれら百観音像を安置しており、庶民信仰の中心となってきた。