▼諏訪神社(高部)(すわじんじゃ)▼ 茨城県常陸大宮市高部2033

歴史の里ロマン紀行(美和編)>


 「道の駅みわ」より東に進み美和中学校手前から32号線を北へ進むとすぐに下の写真の鳥居が見える。ここ高部(たかぶ)は戦国時代には左側の山の上に大きな高部城(館)があった。これは鎌倉時代に佐竹義胤の五子景義が鎌倉時代に築城し、初代高部氏となった。戦国時代は佐竹氏の重要な城の一つであったようである。高部本家が諏訪神社の別当を勤めていたが、途中一族の入檜氏が高部を名乗るようになったとある。

 参道には多くの狛犬が迎えてくれます。

昭和54年9月1日 村指定(建造物)文化財

諏訪神社本殿

 大同元年(806)10月、信濃国諏訪大社の神霊健御名方命(たけみなかたのかみ)、八坂刀売命(やさかとめのかみ)を分遷し創建され古来より高部、入沢両村の鎮守である。嘉慶元年(1387)6月、落雷により社殿など消失したが再建造営の棟札がある。現在の本殿は、享保6年(1721)7月完成されたもので、二間社流造銅版葺、向拝唐破風、前面二扉、間口二間、奥行二間、彫刻彩色あり優美である。

平成14年3月 美和村教育委員会

 

拝殿(側面)

タバッコ峠

尺丈山(標高511m)

諏訪神社の前(県道32号)を山側に進むとタバッコ峠という少し変わった名前の峠を越えて、金山のあった栃原を経由して大子町へいける。道はきれいに舗装されているので車で通ることは容易だ。このタバッコ峠もそれ程高い峠でもなく、山の間の鞍部といったところだ。地元の「美和村史」では名前の由来を弘法大師が峠でタバコを一服し、腰かけた石もあるとの紹介もされているようですが、こんなことでこんな名前がつくはずもない。誰もが変った名前だと思うでしょう。鈴木健氏の「日本語になった縄文語」によると、峠のことをタオ、ター、タワなどというところが多くあり、taorは低い所を意味し、山の鞍部などを指す言葉であり、撓む(タワム)やタワワに実るなどの言葉と同義語であるとしています。この元アイヌ語の峠を表す言葉が残ったと考えるのが妥当でしょう。

 

 常陸大宮市高部と大子町、栃木県那珂川町との県境の山で、登山口より往復で1時間程度の山である。頂上からの眺めがとてもすばらしく、天気が良ければ日光連山から富士山まで眺めることができる。名前の由来は、昔親鸞聖人の孫の如真上人が布教の途中、この山の祠に錫杖を忘れたことから尺丈山と名付けられたという(?)。またここは百樹の森整備事業として「21世紀の子供たちに森を引き継いでいきたい」と20年計画で平成9年度より、地元(旧美和村)と住民が一体となった森の整備(植樹)活動を行っています。途中の山火事にもめげず一帯が森林公園として整備が進んでいます。またビジョン美和の森では赤ちゃん誕生記念植樹活動なども行っているようです。また花立自然公園などと合わせて「茨城森林浴コース100」に選ばれています。