▼泰寧寺-山県大弐の墓▼ 石岡市根小屋779

歴史の里石岡ロマン紀行


 常陸風土記の丘公園のすぐ先より茨城県フラワーパークへ続く立派な農道が完成している。その途中の根小屋地区の入口に泰寧寺(たいねいじ)がある。その横を車で度々通過して気になっていたが、ここに江戸時代の大学者でその勤皇思想で幕府を批判した罪で処刑された山県大弐(やまがただいに)の墓がある。また禅寺で、春から秋に数回座禅や写経の体験学習が受けに全国各地より体験希望者が多く訪れる。

(2008.4.27 撮影)

 山県大弐の墓(県指定文化財)

      指定年月日:昭和10年11月16日

 山県大弐は甲斐(山梨県)に生まれ、医を業としたが、神道・儒教・仏教の教養深く、宝暦年間、江戸にでて塾を開き、国典・兵法を講じ、大義名分論を唱えた。その著書「柳子新論」で尊王を説いて幕府を批判したため、明和四年(1767年)43歳で処刑され、小塚原の刑場にさらされた。その時、山県の門弟であった根小屋出身の園部文之進外2名が見るに忍びず、夜中ひそかに首を奪って帰郷し、自宅の墓地に埋めてそれを家人に告げ立ち去ったといわれる。やがて明治になってからその遺骨はここ泰寧寺墓地に改葬され、贈位の恩典にも浴した。法名は卓栄良雄居士と過去帳に記されている。
      石岡市教育委員会
 

 山県大弐は、江戸時代の勤皇学者である。享保10年(1725)甲斐国に生まれ、27才の時、江戸に出て儒学と兵学を講じ「柳子新論」を表わして、暗に幕府の政治を批判した。当時は封建の世、幕府の批判はいっさい許されない時代であった。明和4年(1767)ついに幕府に捕らえられて処刑された。時に43才、これが歴史上有名な明和事件である。大弐の門人は全国に多く三千人にも及んだといわれているが、その一人、根小屋(八郷町)出身の園部文之進らがひそかに師の首をはこび、この泰寧寺境内に葬ったものである。
              八郷町 

山県大弐の墓は生まれ故郷である山梨県甲斐市(旧竜王町)の山県神社と東京都新宿区全勝寺にもある。大弐は江戸に出た時、四谷坂町に住んでおり、夫人の里方の菩提寺である全徳寺に埋葬されたが、廃寺となったため全勝寺に移された。大弐は吉田松陰らにも影響を与えた思想家であり、処刑されたのは明治維新の100年前であった。

  さらに、泰寧寺境内には片野城の城主・瀧川氏の墓がある(右の写真:大弐の墓の隣り)。瀧川氏は元々は伊勢の武将であったが、織田信長の家来の瀧川一益から姓をもらい瀧川姓となった人です。常陸国を統一した佐竹氏が秋田に転封になった後を受けて、慶長9年(1603)に片野城に入り、新治郡内2万石の大名となったが、跡継ぎがいないために没収されて廃城となってしまった。

 

 
 

  

癒やしの座禅会

  • 体験内容=講師の大木道哉同山副住職による般若心経読経、法話、座禅説明、座禅、写経
  • 時間=午前9時半〜正午(座禅体験)、午後1時〜2時半(写経)
  • 参加費=座禅体験は初回1500円(資料代など含む)。2回目以降1000円、昼食代700円(弁当持参可)、写経代600円(教材費込み)。

 2007年6月14日 常陽リビングニュースより

毎年いろいろな団体で座禅体験会が行なわれています。詳しくは各団体のパンフレットなどで確認下さい。