▼富田北向観音堂▼ 石岡市国府5-9

歴史の里石岡ロマン紀行


 ここ富田観音(北向観音)堂の西は「府中誉」で知られる府中酒造の建物があり、東側は大掾氏の墓所のある「平福寺」がある。昭和4年に石岡の大火もどうにか免れた。一般に観音堂は南向きに建てられるが、長野の善光寺の南向きに対し上田市別所温泉にある常楽寺「北向観音」は善光寺と向き合っているためこの両方をお参りしなければ「片参り」となると言われています。北向きの意味は、これは観音様が「北斗星が世界の、よりどころとなるよう我も又一切民衆のよりどころとなって済度をなさん」という、お告げによるものとされています。また、南向き観音や西向き観音は「来世御利益」を、北向きは「現世御利益」を願うものと解釈されているようです。この近くには昨年(2006年)石岡市と合併した旧八郷町にも小野小町伝説の伝わる北向観音堂があります。

 今も地域の方のお参りが続いており、地域の守護観音として大切にされている。子育ての観音様として慕われている。  

富田北向観音堂の文化財

 北向観音(富田観音)堂は、もと常陸総社宮の地内にあった神宮寺の観音堂として、建てられたといわれている。元禄年間(1688〜1704)、神宮寺が現在地から北方50メートルの富田町地内に移され、さらにその後現在地に移ったことにより、観音堂もこの地に移築されたという。現在では、神宮寺そのものは形をとどめておらず、この観音堂が残るのみであり、堂内には、十一面観世音菩薩像が安置されている。

鰐口(わにぐち) (工芸品) 市指定文化財

 この北向観音堂には、「鰐口」が残されている。鰐口とは、社寺の堂の軒下にかけ、前に下がった綱を引いて、祈願のために打ち鳴らす我国独特の鳴器であるが、北向観音堂の鰐口には、現在確認できないが。天仁年間(1108〜1110)の銘があったとも伝えられている。

石岡市教育委員会
石岡市文化財保護審議会
 

 

富田北向観音堂と府中酒造の門

東側にある安政元年(1858)創業の「府中酒造」の長屋門、この門を含め蔵など7箇所が文化庁登録の文化財とのこと。