高浜の白菊酒造から小倉味噌(こがね味噌)店方面に進むと左側に小さなお堂が見える。これが、親鸞上人の伝説の残る「爪書き阿弥陀堂」である。この阿弥陀堂は、元は平安時代の建立と伝えられる。現地には入口に小さな石柱が立っているだけで、案内板などは置かれていない。堂の裏手に階段があり、上には墓地があるが、高浜の町と霞ヶ浦が一望できる。
上人の伝説は右写真下に記載していますが、石に阿弥陀様が薄らと浮き上がっている。また石の向かって左側には千手観音像がある。江戸時代(1817年5月)に小林一茶がこの高浜にも一泊したという。その際西光寺に立ち寄っているようです。この頃の高浜はどのようだったのでしょうか。興味が湧きます。
(2009.10.18 撮影)
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親鸞上人の伝説は、次のようなものである。その昔、親鸞上人が鹿島参拝の途中、この阿弥陀堂の前にさしかかった時、この里に腫れ物でとても苦しんでいる男がいる事を聞いて、上人はいたく哀れに思い、「腫れ物の痛みを取り除いてあげよう」とその病人に語った。すると、その病人は、「お前の様な旅のこじき坊主に治せるものか」と取り合わなかった。しかし、上人は怒りもせず、病人の寝ている傍らに寄り、静かに念仏を唱え、病人の身体をさすっていると、不思議なことに痛みはひいて行った。さらに続けると、今度は腫れ物までひいてしまい、男は驚いて寝床から起き上がり、上人に心からお詫びを述べ、小麦の焼餅を勧めたという。やがて、上人が鹿島へ渡るため船着場へ行くと、見送りにきたその男は「お陰で体の痛みは直りました。どうぞ心の悩みや未来の苦しみも除いて下さい」と上人にお願いした。すると上人は「極楽往生を願うなら、常に念仏を唱えることだ」と教えさとし、さらに「おまえの庭にある石には、阿弥陀如来が宿っているから、それを信心せよ」と言って船に乗ってしまわれた。男が家に返って石を見ると、そこには阿弥陀如来の尊像が浮彫のように現れていたので、上人のありがたいお言葉を信じ、そこにお堂を建てて、朝に晩に念仏を唱え、名も常願坊と改めて、親鸞上人の弟子になったという。(市制30周年記念 石岡の歴史より抜粋) |