TOP >>

▼7世紀以降の国つくり


日本各地の国(郡)のはじまり

 聖徳太子の死後、645年(大化元年)から中大兄皇子、藤原鎌足などにより全国の国と郡が定められていきました。これは全国規模で行われ大体8世紀前半頃までに各地の国とその国府が定められています。また、聖武天皇は各地の国府(府中)に国分寺と国分尼寺の建立がなされ、今ではその地名(国府、府中、国分寺など)や遺跡の発掘などによりその面影を見ることができます。ここ常陸(石岡)は常陸国分寺と国分尼寺がセットで国の特別史跡(昭和27年指定)に指定された唯一の場所です。また、特別史跡に指定されているのは、全国でも石岡と遠江国分寺、讃岐国分寺の3カ所だけです。もちろん国分尼寺が特別史跡になっているのは常陸だけです。常陸国分寺・国分尼寺は私の住んでいるすぐ近くにありますが、訪れる人も少なく昔の面影を偲ぶのに相応しいたたずまいです。

日本各地の国名と国府

 7世紀から各地に区分けされた国を街道別に区分けして見ました。多少各国の設立にはズレがあり、途中で統合されたり、分離されたりした歴史があるようですが、ここでは細かな点は無視してある程度のはっきりした形となったものを中心に調べて見ました。

国名 読み 別名 現在の地域 国府 備考
五畿内 山城国 やましろ 京都府南部 相楽郡山城町上狛附近→京都市右京区附近 『古事記』には「山代」と書かれ、「しろ」は「実」という意味。奈良時代になって、奈良の都の背後という意味の「山背」と書かれた。平安遷都後、「山河襟帯自から城をなす」という意味の「山城」と称された。
摂津国 せっつ 摂州 大阪府北西部

兵庫県南東部

天王寺区国分町→中央区石町(805年)→難波鴻臚館(844年)→住吉郡(10世紀)→渡辺津 7世紀に津国(つのくに)として設置。和銅六年(713)に摂津国と改称され、「つのくに」と呼んだが、後に「せっつのくに」と変化。
河内国 かわち 大阪府南東部 藤井寺市 七世紀に津(摂津)国が分離し、大化改新(645)で河内国となる。さらに元正天皇の時代に和泉国が分国。
和泉国 いずみ 泉州 大阪府南西部 和泉市府中町 霊亀二年(716)に、河内国から分国
大和国 やまと 奈良県 数ヶ所推定されているが不明 「やまと」は奈良県天理市付近の地域の名で、この地域から興った豪族が現天皇家の祖。
東山道 近江国 おうみ 淡海、近淡海 滋賀県 大津市三大寺 琵琶湖の呼称より国名となった。
美濃国 みの 濃州 岐阜県垂井町府中 古くは三野、御野とも書いた。
飛騨国 ひだ 岐阜県北部 不明 古くは斐太、斐陀と書いた
信濃国 しなの 上田市→筑摩郡 古くは科野と書いた。
上野国 こうずけ 上州 群馬県 前橋市附近 古代の毛野国 (けぬのくに) の分割によって、上毛野国 (かみつけぬのくに) として成立
下野国 しもつけ 野州 栃木県 栃木市田村町 古代の毛野国 (けぬのくに) の分割によって、下毛野国 (しもつけぬのくに) として成立。
出羽国 でわ(いでは) 羽州 秋田県

山形県

庄内平野にあったと考えられているが、所在は不明。天平5 (733) 年に秋田高清水岡 (現在の秋田城跡) に移った。 和銅元年 (708年) 、越後国に出羽郡が設置され、和銅5 (712) 年に出羽国に昇格。明治元 (1868) 年に、現在の山形県にほぼ相当する羽前国と、秋田県にほぼ相当する羽後国に分割。
陸奥国 むつ 奥州 青森県、岩手県、宮城県、福島県 郡山遺跡(名取市)→724年に現在の多賀城市に移る 道奥(みちのおく)といい、平安時代まで陸奥(みちのく)と呼ばれた
東海道 伊賀国 いが 三重県中西部 上野市坂之下国町 天武天皇9(680) 年 に、伊勢国から分かれて成立。
志摩国 しま 三重県志摩半島 志摩郡阿児町国府 伊勢国から分かれて成立。後に南端は紀伊国、その他の沿岸は伊勢国に編入され、志摩国には志摩半島だけが残された
伊勢国 いせ 勢州 三重県北部、中部 鈴鹿市広瀬町長者屋敷 7世紀の孝徳天皇の時代に、後の志摩国、伊賀国の範囲を含んだ一国として成立した
尾張国 おわり 尾州 愛知県西部 地名を手がかりに2ヵ所が候補にあがっているが、不明 木曽川は今より北を流れており、尾張国は現在の愛知県よりは北に広かった。
三河国 みかわ 三(参)州 愛知県東部 豊川市白鳥町と豊川市国府町の2つの説がある 7世紀に、穂国造と三河国造の領域を合わせて成立
遠江国 とおとうみ 静岡県西部 初期の国府は、御殿・二之宮遺跡→中世には、見付。どちらも現磐田市内 古くは遠淡海(とおつおうみ)と書き、浜名湖の古称。これに対し、近淡海(ちかつおうみ)は琵琶湖の古称で、近江国の語源。
駿河国 するが 駿州 静岡県中部 静岡市内 はじめ珠流河と書いた。7世紀に駿河国を建てた。

駿府(すんぷ) 駿河国安倍郡駿府(静岡市)。国府(こう)・府中・府内・駿河府などとも云う

伊豆国 いず 豆州 静岡県伊豆半島 鈴鹿市広瀬町長者屋敷 駿河国から二郡を割いて設けられた
甲斐国 かい 甲州 山梨県 現在の春日居町の「国府」地区か、国分寺があった一宮町の国分付近 甲府(こうふ) 甲斐国府中の意。甲斐国山梨郡府中(甲府市)。永正十六年(1519)、甲斐国統一をめざす武田信虎が躑躅ケ館に移転したのち、その子信玄の時代に城下町として形成された
相模国 さがみ 相州 神奈川県中部、西部 初期は平塚市。中世には大磯町と推定される。ほかに、国分寺があった海老名市付近や小田原市にある千代廃寺を初期の国分寺とみなしその付近とする説もある 相武 (さがむ) 国造の領域と師長 (しなが) 国造の領域を合した
武蔵国 むさし 武州 埼玉県、東京都、神奈川県東部 東京都府中市 現在の関東地方以東を指す我姫国 (あづまのくに) を孝徳天皇のときに分割して武蔵などの八か国が生まれた。はじめ東山道に属したが、宝亀2 (771) 年に東海道に移された
安房国 あわ 房州 千葉県南部 安房郡三芳村の府中 養老2 (718) 年上総国の四郡を分けて建てられた
上総国 かずさ(かみつふさ) 千葉県中部 市原市

中世の国府は能満 (府中) 

7世紀に総国 (ふさのくに) の分割によって建てられた。当時、都から来る道は、相模国から陸路を通らず浦賀水道を経て房総半島に渡り、半島を南から北へ抜けていたため、行程において都に近い南部が上総国、都から遠い北部が下総国と名づけられた
下総国 しもうさ(しもつふさ) 千葉県北部、茨城県西部 千葉県市川市の国府台 7世紀に総国 (ふさのくに) の分割によって建てられた。下総は、古くは「しもつふさ」と呼んだ。総(總)は木(楠)の枝をいう。
常陸国 ひたち 常州 茨城県中部、東部 石岡市 孝徳天皇の時代に関東地方以東を指す我姫国 (あづまのくに) を分割してできた八国の一つとして成立
北陸道 若狭国 わかさ 若州 福井県南部 小浜市附近と推定
越前国 えちぜん 福井県北部 武生市と推定 古くは越(古志・高志)国(こしのくに)と呼び、木ノ芽山嶺から新潟県辺りまでを含む広い範囲をいった。「越」の語源には、木ノ芽(木目)峠を越す事から名付けられたともいわれる。7世紀末に越前国 ・越中国・越後国の三つに分割。その後養老二年(718)に越前国から能登国、加賀国が分割
能登国 のと 能州 石川県能登半島を含む北部 弘仁14 (823) 年に、越前国の江沼郡と加賀郡を割いて設置
加賀国 かが 加州 石川県南部 七尾市の古府にあったと推定 養老2 (718) 年に越前国から四郡を分立して成立
越中国 えっちゅう 富山県 高岡市伏木古府 7世紀末の越国 (こしのくに) の分割によって成立
越後国 えちご 佐渡を除く新潟県 上越市の「国府」地区 7世紀末、越国 (こしのくに)の分割によって成立した
佐渡国 さど 新潟県佐渡島 国仲平野の南辺と推測 国が建てられた時期は不明だが、文武天皇4年 (700年) に記録がある
山陰道 丹波国 たんば 丹南 京都府中部、兵庫県中東部 亀岡市千代川遺跡と推測 はじめ「たには」と呼び、古くは旦波とも書いた。和銅6 (713) 年に北部を丹後国として分離。丹後、但馬を加えて「三旦(さんたん)地方」と云った
丹後国 たんご 北丹 京都府北部 平安時代は現在の舞鶴市にあった。中世には宮津市府中にあった。 和銅6年 (713年)に、丹波国の北部を割いて、丹後国を置いた。
但馬国 たじま 但州 兵庫県北部 出石郡出石町と、城崎郡日高町の説とがある 7世紀に成立
因幡国 いなば 鳥取県東部 国府町中郷 古くは稲葉と書き、稲葉国造の領域であった。7世紀に因幡国が成立した
伯耆国 ほうき 鳥取県西部 倉吉市国府 伯耆国造がいた領域で、7世紀に伯耆国を設置
出雲国 いずも 島根県東部 松江市大草町 出雲国造の領域を元に、7世紀に設置
石見国 いわみ 島根県西部 浜田市 7世紀に設置
隠岐国 おき 島根県隠岐島 隠岐郡西郷町と推定 7世紀に設置
山陽道 播磨国 はりま 兵庫県南西部 姫路市本町 7世紀に設置
美作国 みまさか 岡山県北部 津山市総社 和銅六年(713)に、備前国から郡の六郡を分けて設けられた
備前国 びぜん 岡山県南東部 岡山市と推定 吉備国が7世紀後半に備前国、備中国、備後国に分割されて成立
備中国 びっちゅう 岡山県西部 総社市 「きびのみちのなかつくに」と読む
備後国 びんご 広島県東部 広島県府中市府川 「きびのみちのしりのくに」と読む
安芸国 あき 広島県西部 府中町 安芸は古くは阿岐と書いた。7世紀に阿岐国造の領域に安芸国が設置
周防国 すおう 山口県東部 防府市土井八町 7世紀に周芳国として設けられ、7世紀末に周防国に改称
長門国 ながと 山口県北西部 下関市長府宮の近辺 古くは穴門(あなと)と呼ばれ、穴戸と書くこともあった。穴門国造の領域と、阿武国造の領域をあわせて、7世紀に穴戸国が設置された。7世紀後半に長門国と改称
南海道 紀伊国 きい 和歌山県、三重県南部 和歌山市府中 七世紀に木ノ国(きのくに)と熊野国が合併して成立
淡路国 あわじ 兵庫県淡路島 三原町国衙 古くは淡道と書いた。粟国(あわのくに。後の阿波国)に渡る途中にあることを意味
阿波国 あわ 徳島県 徳島市国府町 7世紀に成立。阿波は古くは粟と書いたが、和銅6 (712) 年に地名を二字で表記するため阿波に変更
讃岐国 さぬき 香川県 坂出市 7世紀に成立した。江戸時代に小豆島と直島諸島が備前国から譲られた
伊予国 いよ 愛媛県 今治市 7世紀に成立した
土佐国 とさ 高知県 南国市比江 7世紀に都佐(とさ)国造と波多国造の領域をあわせて建てられた
西海道 豊前国 ぶぜん 福岡県東部、大分県北部 福岡県京都郡豊津町 豊国(とよのくに)を分割して、豊後国とともに設けられた。豊前は、平安時代まで「とよくにのみちのくち」と読んだ
豊後国 ぶんご 大分県中南部 大分市古国府 七世紀末に、豊国(とよのくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで「とよくにのみちのしり」と読んだ
筑前国 ちくぜん 福岡県北西部 太宰府市 筑紫国(つくしのくに)の分割によって7世紀末までに成立
筑後国 ちくご 福岡県南部 久留米市内を転々とした。 筑紫国(つくしのくに)の分割によって、筑前国とともに7世紀末までに成立
肥前国 ひぜん 佐賀県、長崎県 大和町惣座 火国(ひのくに)、後の肥国(ひのくに)の分割によって7世紀末までに成立
肥後国 ひご 熊本県 はじめ詫麻郡にあり、益城郡に移った。遺跡が発掘されたのは詫麻郡のみで、9世紀に洪水を受けて廃絶
日向国 ひゅうが 宮崎県 西都市の寺崎遺跡 古くは「ひむか」と読んだ。日向国は、7世紀に設けられた。
大隈国 おおすみ 鹿児島県東部、島嶼部 国分市 和銅6 (713) 年、日向国の四郡を分けて設けられた
薩摩国 さつま 鹿児島県西部 川内市の大園、石走島の近辺 大宝2 (702)年 に、日向国から唱更国が設けられた。唱更国は、数年後に薩麻国に改められ、8世紀半ばに薩摩国に改称
壱岐国 いき 長崎県壱岐島 石田郡にあった。具体的な場所については諸説あり 古くは壱岐のほか、伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉など様々に表記され、「いき」または「 ゆき」と読んだ
対馬国 つしま 長崎県対馬 対馬市厳原町 古くは津島とも書いた、7世紀に対馬国が設けられた
北海道 ほっかいどう 北海道 蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、蝦夷(えみし)と呼ばれたアイヌ人等が住んでいた。江戸時代に松前藩が置かれ、この地を支配