▼金剛院十一面観音座像茨城県石岡市田島1丁目 

歴史の里石岡ロマン紀行


金剛院十一面観世音座像(木造)は、田島地区にひっそりとあった。石岡外城(岡田神社・札掛神社)の丘の前を霞ヶ浦方向に少し下ったところにあります。このあたりは、豊かな田園風景の中に,西に雄大な筑波山と恋瀬川をのぞむ標高7〜19mの台地上に立地しており、「田島遺跡(三面寺地区)」として平成15年から今までに4回の発掘調査が行われました。古墳時代(1400年ほど前)から平安時代の竪穴住居跡108軒,掘立柱建物跡4棟などどが見つかっています。当時の人々が近くを流れる恋瀬川流域で河川漁労を盛んに行っていたことが判明しています。

 

ご開帳は、正月、2月の節分、5月1日の午前5時半から10時までとのこと。

 県指定有形文化財  木造十一面観世音坐像 (彫刻)

   所在地:石岡市田島1丁目2番30号(金剛院)
   指定年月日:平成18年11月16日

 金剛院の十一面観世音坐像は、もと田島台にあった天台宗廻向山三面寺(廃寺)の本尊である。
 この像は、檜材寄木造で、像高は113センチメートル。本躯部は鎌倉末期から南北朝の作、両腕・天衣・膝前などは江戸中期、台座・光背は江戸末期の補修と思われる。
 躯部の古い部分は保存状態も良く、県指定十一面観音立像(市内若宮)と並び市内においては最古の仏像で、仏教美術を知るうえで貴重な資料である。

   昭和60年1月
      石岡市教育委員会
      石岡市文化財保護審議会

 

 

 

茨城廃寺礎石?

 説明では「その昔、今を去る千百年国分尼寺の尼僧の使用する化粧石なり。国府の役人飛島・・・成の寄進によるものと言われる。この石に婦女子がふれるとみ目麗しくなるとの言い伝えあり。 昭和62年12月吉日」と書かれている。(一部不鮮明で判読できず)

 

平成17年3月の「金剛院十一面観世音座像修復記念」

金剛院の十一面観世音座像は、もと田島台にあった天台宗廻向山三面寺(廃寺)の本尊である。この像は、檜材寄木造で、像高113cm。本躯部は鎌倉末期から南北朝の作、両腕・天衣・膝前などは江戸中期、台座・光背は江戸末期の補修と思われる。

石岡市より昭和58年(1983年)十月に市指定有形文化財に指定された。十一面観世音座像は、田島区民の信仰の対象として、季節毎の祭事に大切に取り扱われてきたが、江戸期以来、本格的な修復を行っていないことから、漆箔及び彩色が剥落・退色し、継ぎ目が緩み離れ、全体にわたり損傷が甚だしい状態となっていた。
 そこで、将来へ地域の文化と信仰を引継いでいくためには、修復が必要と田島区民の意見が一致した。
修復は、全区民からの浄財をを頂戴し、さらに石岡市教育委員会からの助成金・ご指導を受け実現した。
 今、鮮やかに修復なった十一面観世音座像ならびに厨子を拝し、先祖から伝承された信仰心と文化財を次の世代に引き継ぐ責任を改めて深く感じているところである。

平成17年3月吉日 田島区一同