第1日目:神幸祭・・・午後1時過ぎより総社宮の御神体が神輿に移る神事が行われ、午後2時に花火を合図に、神輿の後を、供奉行列と各町の獅子車が付いて町内をまわりまりながら年番町の御仮殿(おかりや)まで約2時間かけてまわります。
午後1時より:総社宮に各町の氏子代表が参列し、神幸祭・発輿祭(はつよさい)の神事が行われ、神官に囲まれて総社宮に祀られている神霊が明神神輿にお移り(分身)になる神事が行われます。神霊は露祓いの獅子を先頭に御本殿より神輿にお移りになりますが、白い布で隠されており、一般の人の目には見えません。
午後2時:花火の音を合図に一斉に祭りがスタートします。祭りの行列は供奉行列(ぐぶぎょうれつ)を組んで街中を練り歩きながら年番町の御仮殿へ進みます。(各町の飾り付けられた山車は総社宮には入れませんので、中町通りの大通りに整列して合図を待ちます。
(2008年9月13日 撮影)
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明神神輿を担ぐ若者は烏帽子に白装束(平安時代の衣装)で担ぐ前に巫女より神酒にて身を清めます。 |
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明神神輿には神霊がお移りになっており身を清めた男達が担ぎます。 |
行列の先頭の露払いは「富田のささら」という異様な顔の三匹の獅子が務めます。太鼓の音にあわせ獅子に付けられた棒でクルッと一回りする姿は独特の雰囲気があります。
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総社宮の境内に集まった幌獅子は花火の合図と行列の来るのを待ちます。
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約30の石岡の幌獅子が供奉行列について獅子舞を舞いながら町内を練り歩きます。獅子の重さは約20kgもあり、若者達が交替しながら進みます。
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見物客は総社入口鳥居付近で行列の来るのを待ち構えています。
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供奉行列は露払いのささらと獅子の後に続きます。この列の先頭は猿田彦(高天原から葦原中国への道案内の神。天狗の原型)です。その後を旗・鉾を持った列が進みすぐ後ろに祭礼委員会のメンバーが紋付姿で続きます。 |
四神旗・氏子会長・錦旗(天皇の御旗)・唐櫃の列が続き、その後ろが神輿です。
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「富田のささら」は総社宮の境内では祭りの露払いを行い。すばやく駆け足で参道入口の山車に乗り込みます。
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神輿の後ろから巫女・宮司・神官前駆の列が続き、氏子総代・氏子会各町供奉員・年番町役員の列が続きます。 |
氏子総代・氏子会各町供奉員・年番町役員の列
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富田のささら:格式高く「7度半の迎えを受けて出る」といわれています。屋台は神社札・稲穂・榊などで飾り、紺地に八咫烏(やたがらす)を染抜いた幕が張られています。3匹の獅子は、老獅子・若獅子・女獅子で獅子頭は全体を黒漆が塗られ、目・歯に金箔を施し、喉部は軍鶏(しゃも)の羽で覆われています。老獅子・若獅子は頭に特異な太く長い角がついています。屋台の中は十人ほどのはやし連が入り、棒に付けられた三匹のささらを操ります。笛と太鼓のおはやしは「通り」「一匹踊り」「念仏」「三匹踊り」が演じられます。
石岡の幌馬車:車輪を付けた車体の上に小屋をつくり、真岡綿の幌をかけ、先頭に獅子頭を付け、これを一人でかぶり持ち、舞ながら進みます。幌の色は通常2色で町内が分かるように各町独自の色を使います。獅子舞も、おはやしも単純なものですが、とても勇壮なものです。獅子舞は全国に多く見られますが、小屋をつけた幌獅子は珍しいもので、石岡特有のものといえます。(森木・土橋・金丸・守横・仲之内・宮下・幸・国分・若松・泉・星の宮・鹿の子・茨城・貝地・水久保・北の谷・ばらき台・浜崎・六軒・山王台・元真地・六軒東・小川道・東・若松東・出し山・大和・大砂・正上内・南台の各町)
神輿:祭りの初日に総社より年番町の御仮殿へ運ばれ、最終日にまた戻る神輿は「総社大神輿」と呼ばれ、明治30年に青木町の棟梁小井戸彦五郎bにより政策され、平成9年に栃木県石橋町神輿師小川政次により修復されています。屋根紋は16弁菊花紋です。また祭りの中日には一回り小さな「総社明神神輿」の巡行が行われます。
<祭り中日(二日目)へ続く>
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