▼石岡のおまつり-1▼常陸國総社宮大祭

歴史の里石岡ロマン紀行


 「石岡のおまつり」は常陸國総社宮大祭として、毎年9月15日を含む3日間行われます。2008年は9月13日〜15日と3連休に重なり盛大に行われました。千葉県の「佐原ばやし」、東京府中の「暗闇祭」とならんで関東三大祭りともいわれ規模の大きなお祭りですが、意外と歴史は新しいものです。「石岡市史」によれば、明治33年(1900)9月に常陸国総社宮が県社に昇格したときに祭礼制度の検討を始め、明治35年(1902)に年番制度が始まったのに合わせ、当時の16町が各年交代でその年の祭りの年番となって取りまとめる現在の祭りの形となったものです。しかし、各町内にはそれまで伝統として続いていた祭りも有り、これも合わせて行うようになったようです。主なものは「冨田ささら」「木之地のみろく」などであるが、江戸時代中期に始まったとされる「天王社の祇園祭」(6月1日〜13日)という説をいう人もいる。これはインド神「牛頭天王」を祀り、京都八坂神社の祭神でもあった。八坂祇園祭りが各地で悪疫祓いの夏祭りとして全国に広まり、この府中においてもおこなわれたものと思われる。この天王社は、中町の矢口家の隣にあったとされる。(2010.7.25追記)

年番制度:明治35年に石岡町の守木・大小路・土橋・金丸・守横・富田・仲之内・宮下・青木・幸・国分・若松・泉・中町・香丸・木之地の16町内が毎年交替で祭りの中心としての役割を果たしてきました。昭和27年に木之地町が辞退して15町で交替で行われてきました。今年(2008年)は15番の香丸町でした。ただ各町での負担も大きく、市からの財政支援を求める声も大きくなっています。

第1日目:神幸祭・・・午後1時過ぎより総社宮の御神体が神輿に移る神事が行われ、午後2時に花火を合図に、神輿の後を、供奉行列と各町の獅子車が付いて町内をまわりまりながら年番町の御仮殿(おかりや)まで約2時間かけてまわります。詳細はこちら

第2日目:大祭・・・総社宮では10時半より高校相撲大会が奉納相撲として行われ、午後より総社神輿に御神体が移り(分霊)、町内を回ります(約10年前より行われています)。神楽殿では染谷十二座神楽と浦安の舞(巫女舞)が奉納されました。詳細はこちら

第3日目:例大祭・還幸祭・・・1日目の逆で御仮殿より本殿に御神体を戻すために、午後1時過ぎより神事が行われ、午後2時より初日の順路を逆に供奉行列を組んで町中を回りながら、総社へ約2時間程かけて戻ります。詳細はこちら

祭り前の街の情景はこちら

 

   (撮影日:2008.9.13)

 街中が山車が埋め尽くされる。(中町通りで初日15時頃撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭りは3日間午後1時より夜9時まで町内の通りを交通止めにして行われます。各町単位での山車の競演が見物である。石岡の人は祭りが大好きだ。

  山車は

 ・香丸町(聖徳太子)
 ・森木町(菅原道真)
 ・大小路町(桃太郎)
 ・金丸町(弁財天)
 ・守横町(静御前)
 ・富田町(楠木正成)
 ・青木町(神武天皇)
 ・幸町(武甕槌命)
 ・国分町(仁徳天皇)
 ・中町(日本武尊)
 ・若松町(八幡太郎)
 ・泉町(鐘馗)
 ・東光台町(大国主尊)

 の13町(旧町名)である。( )内は各山車の上に飾られる武者人形です。

<山車>

山車はほとんどけやきで作られています。屋根がない二層建て(又は三層建て)で上層は約2m程もある大きな人形が飾られ、一層は綺麗な彫り物や細工・提灯などで飾られた舞台があります。石岡ばやしに合わせて踊りが披露されます。おかめ、ひょっとこ、きつねなどの面を付け大太鼓・小太鼓・笛・鉦の音に合わせて様々な仕草の踊りが見物です。台車は40-50cm直径位の4つの車輪がとり付けてあり、二本の曳き綱を子ども達が中心となって引き、大人たちが台車を押して歩きます。

<祭り(初日行事)へ続く>