「石岡のおまつり」は常陸國総社宮大祭として、毎年9月15日を含む3日間行われます。2008年は9月13日〜15日と3連休に重なり盛大に行われました。千葉県の「佐原ばやし」、東京府中の「暗闇祭」とならんで関東三大祭りともいわれ規模の大きなお祭りですが、意外と歴史は新しいものです。「石岡市史」によれば、明治33年(1900)9月に常陸国総社宮が県社に昇格したときに祭礼制度の検討を始め、明治35年(1902)に年番制度が始まったのに合わせ、当時の16町が各年交代でその年の祭りの年番となって取りまとめる現在の祭りの形となったものです。しかし、各町内にはそれまで伝統として続いていた祭りも有り、これも合わせて行うようになったようです。主なものは「冨田ささら」「木之地のみろく」などであるが、江戸時代中期に始まったとされる「天王社の祇園祭」(6月1日〜13日)という説をいう人もいる。これはインド神「牛頭天王」を祀り、京都八坂神社の祭神でもあった。八坂祇園祭りが各地で悪疫祓いの夏祭りとして全国に広まり、この府中においてもおこなわれたものと思われる。この天王社は、中町の矢口家の隣にあったとされる。(2010.7.25追記)
年番制度:明治35年に石岡町の守木・大小路・土橋・金丸・守横・富田・仲之内・宮下・青木・幸・国分・若松・泉・中町・香丸・木之地の16町内が毎年交替で祭りの中心としての役割を果たしてきました。昭和27年に木之地町が辞退して15町で交替で行われてきました。今年(2008年)は15番の香丸町でした。ただ各町での負担も大きく、市からの財政支援を求める声も大きくなっています。
第1日目:神幸祭・・・午後1時過ぎより総社宮の御神体が神輿に移る神事が行われ、午後2時に花火を合図に、神輿の後を、供奉行列と各町の獅子車が付いて町内をまわりまりながら年番町の御仮殿(おかりや)まで約2時間かけてまわります。詳細はこちら。
第2日目:大祭・・・総社宮では10時半より高校相撲大会が奉納相撲として行われ、午後より総社神輿に御神体が移り(分霊)、町内を回ります(約10年前より行われています)。神楽殿では染谷十二座神楽と浦安の舞(巫女舞)が奉納されました。詳細はこちら。
第3日目:例大祭・還幸祭・・・1日目の逆で御仮殿より本殿に御神体を戻すために、午後1時過ぎより神事が行われ、午後2時より初日の順路を逆に供奉行列を組んで町中を回りながら、総社へ約2時間程かけて戻ります。詳細はこちら。
祭り前の街の情景はこちら。
|